20121106

[asatte Vol.5](特集:ファッションと音楽) 小林ヨウ「原宿を着るアイドル」

雑誌のモデルとして原宿系の女性の支持を得ていたきゃりーぱみゅぱみゅは「PONPONPON」でCDデビューを果たすと、早々にフィンランドのiTunesエレクトロ・チャートで1位を記録、YouTubeでもPVが2012年5月現在2500万再生を超えるなど世界的な反響を獲得している。アーティストともアイドルとも取れる彼女の音楽活動について、現在の日本のアイドル・ブームの中で考えたとき、そのアプローチは明確に他のアイドル達と異なっている。そしてその理由は、彼女がファッション・モデルであるからに他ならない。

[asatte Vol.5](特集:ファッションと音楽) 梶原綾乃「世界を魅了する“ぱみゅぱみゅ”マジック」

きゃりーぱみゅぱみゅの人気の裏には「自己プロデュース力」という強みがある。自分の好きな目玉や骨といった"グロカワ"アイテムに、芸人ばりの変顔やダンスはPVへ、ブログで多用されるきゃりー語"好きすぎてキレそう"は楽曲タイトルに。元々彼女が持つ独特な世界観を、所々惜しみなく売り出すことに成功しているといえるだろう。リスペクトする人物はケイティ・ペリーやレディー・ガガ。普通の女の子として生きることに飽き足らないきゃりーは、奇抜なファッションで世間を驚かせてきた憧れの彼女達のように、「ちょっとズレてる」女の子として、世界にきゃりー流"カワイイ"の発信を試みようとしているわけだ。 

20121101

[asatte Vol.3](特集:旅する音楽) 須田佳之 「作家、村上龍の挑戦」

2011年11月19日
"RYU’S CUBAN NIGHT" タニアvsハイラ with キューバン・オールスターズ
於:品川ステラボール

カリブ海に浮かぶ島国キューバは、ルンバ、マンボ、チャチャチャといったラテンリズムのふるさとだ。革命前はカリブ海きっての歓楽街であった首都ハバナでは、誰もが踊りだしたくなる、身体に直に響く音楽が数多く生み出されてきた。

20121028

[asatte Vol.6] 田中三千穂「三つ子の魂百まで。子どもの音楽の記憶は大人になるまで。」

火曜日の『サザエさん』をご存知だろうか。『サザエさん』といえば日曜日のものとしておなじみだが、95年頃までは日曜日の他に、火曜日にも放送されていた。私はこの火曜日の『サザエさん』のオープニングとエンディングのテーマ曲が日曜日のそれよりも大好きで、今でも完璧に空で歌えてしまう。先日、桜新町在住の同僚とそんな話になったのだが、火曜日の『サザエさん』を知る者はその場では少なかった。なるほど、私が関西出身だから、他の地域では放送していなかったのかもしれないと思ったのだが、そのテーマ曲を口ずさむと、驚いたことにその場の誰もが知っていたのである。

20121020

[asatte Vol.6] 中川泉「“替え唄”から見る子どもたち〜嘉門達夫の再ブレイクを通して〜」

アルバイトの関係で、小学生の子どもたちと触れる機会が多い。ある時、いつものように子どもたちと話をしていると、いきなり「ちゃらりーん♪鼻から牛乳〜♪」と歌いだした子どもがいた。現在大学生の私でも、「かつて流行した」程度の認識の替え唄を、なぜひと周りも違う彼らが知っているのか疑問に思い、尋ねてみた。すると、テレビ番組で見て覚えた、というのだ。

20121018

[asatte Vol.6] 小林ヨウ「福島から立ち上る音楽」


指揮者がかざしていた手を勢いよく振り下ろす。その手の動きに合わせてバフッと、あるいはガタッと、あるいはプーと音が鳴る。演奏者達の手にはリコーダーやピアニカや鉄琴のばちが握られている。指揮者が両手をゆっくり下からすくい上げるように持ち上げる。ばたばたとした音が徐々に強く激しくなっていく。それは何かが立ち上っていく唸りのように聞こえる音楽だ。指揮者はパーカーにジーンズの中年の男性で、演奏者は小学生、会場は震災後の福島の小学校の教室。これがその日の大友良英の即興演奏の風景だった。

20121012

[asatte Vol.4](特集:場をつくる音楽) 佐藤わかな「愛すべきミナミホイール」

ミナミホイール(以下ミナホ)。それは、大阪を代表とする音楽イベントといっても過言ではない。1990年に米SXSWをモデルに、日本初の本格的ライブショーケースイベントとして、大阪では知らない人がいない有名ラジオ局FM802が中心となり、大阪アメリカ村にあるライヴ・ハウスを巻き込んでスタートした。全国をみると、ミナホほどの規模で長きにわたり成功しているサーキット・イベントはあまり多くない。それはなぜか。その謎を解く鍵を握るのは、アメリカ村そのものにある。

舞台となるアメリカ村は、少し歩けばライヴ・ハウスがあり、また少し歩けばレコ屋があり、FM802がアート・ディレクションを務めるカフェがあり、色鮮やかな古着が並ぶ店には店主好みのロックが流れる。自由奔放でありながら、街をあげて何かすることに対してはいつだって好意的だ。大阪の心斎橋/堀江一帯を指すミナミエリアの中心部、元は倉庫街だったこの場所に、空間デザイナーである日根萬里子さんがカフェ「LOOP」をオープン。これをきっかけとして徐々に集まり始めた若者が、後にアメリカ村をさまざまな文化発信の場へと変えていく原動力となっていった。

なかでも、音楽の街アメリカ村の側面は、多くのレコード店、キャパシティ約200~1500人の大小様々なライヴ・ハウスが一つの地域に集中していることから垣間見ることができる(ミナホの会場となるライヴ・ハウスだけでも22か所)。ミナホ期間中は、首からパスを下げた参加者でごった返し、街がまるごと音楽一色になる。公式マップには載っていない場所でも音楽が鳴らされ、ミナホ期間中であればそのことに大きな疑問を抱く人もいないだろう。ふとアメリカ村に立ち寄った人も気付けば参加者の一員となっている。

確かに街をあげた一大イベントではあるが、実際に運営をする人たちだけがそれを作り上げているわけではない。街に住む人、街を訪れる人、そのすべてが重要な主催者なのだ。その昔1980年代、アメリカ村ユニオンという団体が利益を求めず、アメリカ村を活性化させようとパレードやダンス、ファッションのイベントを企画していたこともある。根っからのDIY精神を持つアメリカ村には、誰かに頼ることなくその地に活動の拠点を置く人たちによって作り上げられてきた歴史がある。だからこそ、街全体を巻き込むサーキット・イベントはこの街に自然に受け入れられるのだ。

20121011

[asatte Vol.6] 岡本貴之「少年少女合唱団とロック・ミュージシャン」

ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、エレファントカシマシの宮本浩次、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト。この3人に共通点があることをご存じだろうか? 答えは「少年少女合唱団(もしくは聖歌隊)」を経験していることだ。

キース・リチャーズは少年時代、聖歌隊に所属していたという。ウェストミンスター寺院内の教会に於いて、若き新女王エリザベス二世の戴冠式で独唱を披露。ヘンデルの《メサイア》の中から《ハレルヤ》を歌ったキースは聖歌隊のスター的存在だったという。しかし13歳で変声期を迎え、高く透明な声が出せなくなったキースは聖歌隊から追い出されてしまう。さらに合唱の練習の為免除されてきた授業のせいで1年留年。このことについてキースは「あの燃えたぎるような怒り、世の中を疑い始めたのはあのときだ」と相当恨んでいたらしく、この出来事が後のロックンロール・ジャンキー、キース・リチャーズを作り上げたのかもしれない。

宮本浩次は、小学生の頃、NHK少年少女合唱団に所属していた。10歳の時、「はじめての僕デス」でソロ・デビュー。『みんなのうた』で取り上げられ3万枚以上売れるヒットを出している。複数のレコード会社からそれぞれリリースした為、合唱団の先生に連れられて各レコード会社に出向いてレコーディングしたという。
「NHK合唱団では“ガ”っていわないで、(鼻濁音で)“が”っていえ、って言われて」
「そういうのは、今でも出ちゃったりとかしてますよね、微妙に」(いずれもROCKIN’ON JAPAN 2009年5月号掲載のインタビューより引用)
といった発言にもあるように、「正当な音楽教育」を受けた経験が今に活きているようだ。

甲本ヒロトの場合、幼少期に出身地の岡山で「桃太郎少年合唱団」に所属していて讃美歌を歌っていたらしいが、インタビュー等で本人がこれに関して語っているのを読んだことがないので詳しいことはわからない。しかし「桃太郎少年合唱団」が設立された年はヒロトが生まれた年と同じ。幼少期のヒロトが入っていてもおかしくはない。

ストレートなロックが真骨頂なこの3人の音楽性に合唱団との親和性を見出すのにはかなり無理があるが、大勢の中から独唱やレコード・デビューを果たしている事実を鑑みると、幼少期から人並み外れた音楽的センスを発揮していたからこそ抜擢されたのだろう。同時にとても大勢の中でお行儀よくしていられる子どもだったとは考えにくい3人だけにきっと目立つ立ち振る舞いをしていたのだろう。「ロックの初期衝動」とはロック・ミュージックに初めて触れた時の衝動を元にパッションを持ち続けることだが、それ以前に幼少期に人前で歌を歌うことの快感が、音楽で自分を表現することへの初期衝動として彼らの体の中に記憶されているのかもしれない。その証拠に、彼らがステージ上で見せる笑顔は、今もあどけない少年そのものだ。


エレファントカシマシ - ズレてる方がいい(Short ver.)


エレファントカシマシの最新情報はコチラ:http://umusic.ly/elekashi
エレカシ、7ヶ月ぶりのシングルは今秋公開、超大作映画「のぼうの城」主題歌。
ズレてる奴のかっこ良さを歌ったエレカシならではメッセージソング。
初回盤には、映画と同じ犬童一心・樋口真嗣両監督によるMusic Videoを収録。
Music Videoとは思えない壮大なスケールの作品にプラス、超貴重なメイキング
映像も収録。
CD MAXI
「ズレてる方がいい」
発売日: 2012.10.31
商品詳細はコチラ:http://umusic.ly/elekashi

20121009

[asatte Vol.6] 梶山春菜子「子どものまま大人になるためにSEBASTIAN Xを歌え」

子どもに戻りたいと思ったことはあるだろうか。歳を取れば取るほど楽しいという人もいる。わたしもそうだ。一方で、子どもに戻りたいとも思っている。ただそれは自分の人生のいくつの頃、というわけではなく、おそらく「子ども」に象徴される“何か”を持っていたいのだ。

その“何か”とは、人に笑われたり、厨二病乙などと揶揄されたりと(もしくは実際に自分はされなくても人がされているのを見て)、これでは生きづらいと抑えるうちにもう一度引っ張りだすことができなくなってしまったものだ。

だから今までと逆にそれを持ったままでいいんだなと思える場所にいることが大事なのである。そんな時、SEBASTIAN Xの音楽はそうありたいと思う方向を照らす明かりのようだ。

彼女たちの特徴である、“ユニコーン”や“怪獣”、“スピカ”などの空想的なセンテンスが散りばめられた児童小説のような文学性、彩る音の鮮やかさと勢いのあるポップさ、巷で有名な「なんか凄いことになっているらしいインパクト大のパフォーマンス」に感じるのは、限界を知らず走り回って遊ぶ子どもの眩しさだ。

しかし、私はSEBASTIAN Xをそのまま子どものような賑やかなバンドだと受け取っているのではない。自分の中の子どもを侵されないように闘う大人だと感じるのだ。特に象徴的なのはセカンド・ミニ・アルバム『僕らのファンタジー』のM5「サファイアに告ぐ」だ。ライヴでもほぼ必ず演奏されるこの曲はSEBASTIAN Xの核なのではないかと勝手ながら思う。“サファイア ああサファイア! 君は誰よりも美しく サファイア ああサファイア! 宇宙の揺籠で眠る愛の子供”という力強い歌い出しで始まるこの曲は、序盤の叩き付けるような激しいピアノに乗って、現実の厳しさに疑問を投げかけ闘い挑むエネルギーがうねりを上げて盛り上がっていく。

“宝物の山燃やし尽くし 歴史の山を燃やし尽くし それでも美しいといえる? 世界はばらばらになった!”と歌い放つと、曲調は一転し、夢を見るようにファンタジックな言葉が紡がれる。なかでも不思議なのが“空を飛ぶ魚”や“流星のストローク”と並列で“笑い合う食卓”や“毎日埋まる絵日記”といった日常的な場面を歌い上げていることだ。だが、これこそSEBASTIAN Xの肝である。彼女たちが描くのは全くの空想の世界、子どもの世界ではない。当たり前だと言われるような日常がファンタジーのように美しいことを知った〈大人〉が見る、現実や日常の中に眠るファンタジーだ。だからこそ、世界の中で自分が何者にでもなれ、目に見えない何かがあり、何をどう見てもどんな膨らませ方をしても良かった頃の童心を守り抜く彼女たちは光り輝いている。

永原真夏(Vo)の、様々なことに戸惑いながらも、笑顔で駆け抜けていく勇ましい姿はジャンヌ・ダルクのようで、その後に続きたくなるのだ。この曲の終わりで彼女は“次は僕らの時代だ サファイア!”と告げている。馬鹿みたいだと笑う大人の時代は終わらせよう。濁りそうならば闘うようにSEBASTIAN Xを歌おうと思う。



2012/7/11リリース New mini album『ひなぎくと怪獣』トレーラー




<最新作品情報>
2012/07/11 Release
SEBASTIAN X
New Mini Album
『ひなぎくと怪獣』
RDCA-1024/¥1890(tax-in)
初回生産盤のみ"CD+DVD"の2枚組仕様
※初回生産盤はなくなり次第終了
[初回生産盤 商品内容]
・CD全6曲入り
・DVDにはアルバム収録曲のMusic Video2本とSEBASTIAN X主宰野外イベント「TOKYO春告ジャンボリー」のライブ映像6曲を収録

20121004

[asatte Vol.6] 岡崎千紘「つなげる」

子どもに「すばらしい体験を」という志のもとに音楽活動を行っているミュージシャンは多い。そこで、ある例を紹介しようと思う。

Ozomatliというバンドがいる。L.A.で結成されたバンドで、ラテン、ヒップ・ホップ、ロックなど、いろんなジャンルを織り交ぜた……という紹介がこのバンドの常ではあるが、むしろL.A.という世界の人種や文化が織り交ざった場所で生まれた「ジャンルレス」な音楽と言った方が、彼らを紹介するにはよいかもしれない。数々の音楽フェスティバルに出演し、グラミー賞も受賞するなどの活躍ぶりも目覚ましい彼らが最近力を入れているのが「OZOKIDZ」というプログラムである。これは文字通り「子ども」を相手とした活動であり、子ども向け番組のコンピレーション・アルバムやゲームへの音楽提供、そして子どもを対象としたライヴを積極的に行っているほか、今秋にはその名を冠したアルバムも発売される。特にライヴには力を入れており、SXSWなどのフェスや音楽イベントへの出演はもちろん、ツアーも会場の大小問わず多数行っている。

そもそも彼らの音楽活動は、L.A.での、ある地域問題への抗議運動をきっかけとしている。その後の活動も社会問題に沿っていることが多く、それに従うようにして、彼らは多くの国や現場でライヴ活動を行ってきた。そして彼らの目線は、演奏する地域で生活する人々へと向けられている。その人たちがもし問題を抱えているならば、彼らはその問題に対して共に「NO」と言えるバンドなのだ。言ってしまえば、彼らが行うライヴは単なる見せ物ではなく、オーディエンスと同じ目線に立つツールであるのだろう。「ジャンルレス」と言える所以もそこにあるように思えるし、それこそが彼らの持つ音楽の力だ。そして17年にも及ぶ活動の中で、彼らが近年目を向け始めたのが、「子ども」ということなのだが、それはOzomatliの中に「父親」となったメンバーがいるということも大きく関わっているだろう。

OZOKIDZのライヴの様子を動画サイトなどで見ると、鶏のマスクをかぶったメンバーや小さなラッパを吹いて軽快に演奏するメンバーと一緒に、楽しそうに踊る子どももいれば、ぽかんと直立不動でじっと見続ける子どももいる。子どもの反応は、素直で、さまざまで、面白い。そして、子どもたちと一緒に大人も楽しそうにしているのを目にすると、このバンドはなんて素晴らしい時間と場所を作っているのだろうと思わずにいられない。彼らは、そこに居合わせた親子にとって、それだけで充分な役割を果たしている。

OzomatliFUJI ROCK FESTIVALで初来日した際、ステージ上ではなくオーディエンス・エリアから演奏を始め、その音楽に引き寄せられた観客をひきつれてステージに向かって行った。「子供の頃、音楽と出会えたことがどれほど幸せだったか… そんなチャンスを子供たちにあたえたい」(Smashing Magより引用)と、あるメンバーは発言している。彼らもかつては音楽にひきつけられた子どもたちだったのだ。そして今は彼ら自身が子どもたちをひきつれていく。それは、観客としてだけではなく、いつかステージに立つ人間として。まさにOzomatliの音楽を繋げていく「OZOKIDZ」が、いま生まれているときなのかもしれない。


Ozomatli and Harold Robinson Foundation team up for the kids
Ozomatli performing for the kids at 92nd Street School in Los Angeles.


20120929

『asatte Vol.6』設置場所

『asatte Vol.6』の配布が始まりました。

『asatte Vol.6』掲載記事タイトル一覧

岡村詩野音楽ライター講座受講生が発行している音楽フリーペーパー『asatte Vol.6』をこのたび発行いたしました。

[asatte Vol.6] 池田若菜「みんなで楽しむ、音楽の授業」

小学校の頃、音楽の授業がとても好きだった。私は運動が苦手でかけっこはいつもビリ。田舎の学校でみんな体育が大好きなのに私は大嫌い。悲しい気持ちになったことも多々あった。そんな私にとって音楽の授業はいつも至福の時間であった。ピアノを弾いてくれたり、歌を歌ってくれたり、先生お気に入りのビートルズを聴いてリズムに合わせて遊んだり。運動で劣等感にさいなまれていた私も、音楽の授業ではクラスメイトと一緒になってワイワイ楽しむことができ、知らないうちに音楽は私にとって一番の得意科目になっていた。音楽と出会えたおかげで、私はその後今に至るまでに沢山の素敵な音楽友達と出会うことができて、今ではすっかり人との付き合いも得意になった。しかし、一転して中学高校の時は音楽の授業が嫌いだったのだ。なんだかもの静かな先生で「静かに」としか言わず教科書通りに進められる時間はひたすら睡魔との戦い……。西洋クラシック音楽や日本の民謡だけに光をあて、つまらなさそうに教科書を読み上げる先生を見て生徒達は皆飽き飽きしていたし、そんな音楽の先生よりもインターネットの動画サイトが音楽の先生になってしまっていた。音楽の授業で学んだことは「音楽は静かに黙って、椅子に座って、じーっと聴いていなければならない」だなんて、つまらないこと極まりない。静かに黙ってじーっと音楽を聴くのは、せめて家で動画サイトを開いて音楽を聴くときだけでいい。

音楽を通したコミュニケーションというものは、演奏を聴くことでミュージシャンと意思疎通を図ることだけではない。リスナー同士の意思疎通もコミュニケーションである。同じ音楽を聴いて良さを共有し合う、又は意見を交換し合う。同じビートに合わせて体を動かしてみんなで音楽の波に乗ってみる。普段あまり聴かないような耳に新しい音楽を先生に紹介してもらって、未知の世界をみんなで楽しむ。そうやって、ひとりきりのパソコン画面から抜け出し、実際の友人達と音楽を通した親密なコミュニケーションを体感することで音楽への好奇心は一層高まるだろう。自分一人では体験できない、みんなで音楽を楽しむことの良さを知っていくのだ。

たしかに音楽はひとそれぞれ好みも自由。「わたしはわたし、あなたはあなた」かもしれない。だが、素敵な音楽を共有し合えることの幸せも格別で、そんなふうに素敵な音楽を「みんなで楽しむ」ことの良さを教えることができる最良の場こそ、音楽の授業だ。自分の部屋のパソコン画面というパーソナル・スペースを抜け出して、コミュニケーションしながら音楽を楽しむ。そして、そのコミュニケーションの中で音楽が生徒にとって大切なものになったら、音楽の授業は大成功だ。

[asatte Vol.6] 山本大記「楽器店の主役」


ここ数年間で楽器店の内装はずいぶん様変わりしたように思える。以前は楽器店に入ると有名なミュージシャンやギタリストの写真やポスターが目に入ってきたものだった。スラッシュやらマイケル・シェンカーやらのポスターが、彼らの使用モデルのギターの横に張り付けられていたのをよく覚えている。ところが、ここ最近は彼らの姿を楽器店で目にすることはめっきりと少なくなった。ジョン・レノンやカート・コバーンは今も変わらずよく目にするものの、楽器店においては以前よりも確実に実在するミュージシャンの影は薄くなりつつある。その代わりに急激に目立つようになったのがアニメやボーカロイドのキャラクターたちだ。特にアニメ『けいおん!』のキャラクターたちの台頭は凄まじく、彼女たちの姿を見かけない楽器店はほぼないと言ってもよいほどだ。売り場の目につきやすい場所には、だいたい『けいおん!』のキャラクターのポスターと、彼女たちの使用モデルのギターやベースが置いてある。店内には「けいおんはじめよう! 」というキャッチフレーズの書かれたビラが置かれている。キャラクター・グッズの売り上げも盛況なようだ。

楽器店の主役が3次元から2次元に取って代わられた理由は言うまでもないだろう。今の若い世代に最もアピールするのが、そのようなゲームやアニメ音楽だからだ。僕の世代がゆずやラルク アン シエル、もしくはビートルズなどにあこがれてギターを手にしたように、 今の中学生、高校生は『けいおん!』や、ボーカロイド音楽に触発されてギターを買う。僕たちがゆずの「夏色」をカバーすべくギターの練習をしたように、彼(彼女)らは「ふわふわタイム」をカバーするためにバンドを組む。

このように書くと隔世の感があるというか、状況はずいぶん変化したように思えるかもしれない。しかし、それは表面的なことに過ぎないように僕には思える。僕たちはわくわくしながらギターを手に取った。バンドを組めばなにか楽しいことが起こるかもしれない。あるいは女の子にモテるかもしれない。そんなことを思い、バンドを組んだ。そこのところは、今の世代だってあまり変わらないはずだ。そういう意味では、『けいおん!』はきっかけに過ぎない。

近年は、残念ながらロックやギター・ミュージックの求心力が以前よりも落ちつつある。チャートを見てもロック・バンドの名前を見かけることは少なくなった。そんな状況の中でもう一度バンドやギターに目を向けさせるきっかけとなったのがアニメやゲームなどの2次元文化だったように思う。もちろん良いことばかりではない。アイドルとアニメ、ボカロ音楽に席巻されている現在のチャートの状況が必ずしも健全だとは言えないだろう。それでも、少なくともロック・ミュージックの視点から2次元音楽の功罪を比べれば、功のほうが大きいと僕は思う。

だからこそ僕にはアニメのキャラクターに占拠されている現在の楽器店の状況がそんなに悪いものだとは思えないのだ。

20120922

[asatte Vol.6] 木村慶「子どもだって刺激が欲しい!!」


「gabba gabba」というと音楽好きならラモーンズの「Gabba Gabba Hey」が思い浮かぶだろう。いい響きでそれも悪くないが、今の欧米の子どもたちは即座にこう叫ぶだろう。「Yo Gabba Gabba! 」。いったい何のことかと思うかもしれないが、これはアメリカを中心とした、欧米諸国で大人気の子ども向け番組のタイトルなのだ。

DJ Lance Rockと5人のカラフルなキャラクターがダンスを踊ったりと、この番組は基本的に音楽メインに進行していくのだが、すごいのが色々なコーナーに呼ばれるゲストの面々。ウィーザー、MGMT、ザ・シンズ、ディーヴォ、ザ・ルーツなど、まるでどこかの音楽フェスのラインナップを見ているかのような、あまりに豪華な面子が番組内で演奏を披露しているのだ。数年前にはなんと日本からもコーネリアスが出演し「COUNT FIVE OR SIX」を演奏している。あんなロック・ナンバーを流す子ども向けの番組は、残念ながら今の日本にはない。だが、子どもたちはきっとそれを楽しむことが十分できるだろうし、その権利もあるはずだ。NHKなんかでやっている子ども向け番組も確かに引きつけられる音楽を使っていることはあるが、演奏している映像はほとんど流れないし、いわゆる歌のお兄さんやお姉さんはミュージシャンとは違う。「こんな人が歌っているのか」「あの楽器からこういう音が聴こえるのか」。そういうことを見て、聴くのは子どもたちにとって、とても刺激的な体験になるのではないだろうか。

この『Yo Gabba Gabba! 』(以下YGG)が欧米でウケている一つの要因は、今番組を見ている子どもたちの親の世代がおそらく、90年代オルタナ全盛期にちょうど多感な時期を過ごしていて、多様な音楽へと開かれているからなのではないかと思う。そう考えると日本だってビートルズが不良の音楽なんて言っていた時代からずいぶん寛容になっているだろうし、これから親になるだろう世代は『YGG』みたいなロック、ヒップホップなどが流れる番組を子どもに見せることにそれほど抵抗もないのではないかとも感じる。

さらに『YGG』はライヴ・ツアーもやっていて、いまや何十万人も動員するような人気となっている。そこでもスヌープ・ドッグなど、びっくりするようなゲストが毎回出てきては、当然のように大人たちも子どもと一緒になってライヴを楽しむ。最近では日本も大型フェスに小さな子を連れてくる親が多くなっているし、フェス側も子どもを連れて来やすいような改善をしているが、それも大人たちの場に子どもを連れて行っているような印象だ。一方でこの『YGG』のライヴは大人たちも一緒になって楽しんではいるが、あくまでも主役は子どもだ。そういう空間はとても素敵だし、ぜひ日本でも子どもたちに向けて色々な音楽が演奏される番組や場が増えていって欲しい。もしかしたら演奏を見て興味を持った子どもが、家の片隅で眠っている親が昔使っていた楽器を引っ張り出してきてバンドを組んでしまうような、そんなワクワクするようなことがあるかもしれない。

20120625

『asatte Vol.5』Cymbals Nightにて配布します。

『asatte Vol.5』下記イベントにて配布いたします。
Cymbalsに特化したファンによるDJ&LIVEイベントです。

20120623

『asatte Vol.5』掲載記事タイトル一覧

岡村詩野音楽ライター講座受講生が発行している音楽フリーペーパー『asatte Vol.5』をこのたび発行いたしました。
これから受講生の手で、都内CDショップ、ライブハウス、カフェ等に配布させていただきます。
配布場所につきましては、随時お知らせいたします。
以下、掲載記事タイトル一覧です。


『asatte Vol.5』
特集:ファッションと音楽

・梶山春菜子「女王蜂~解放されるただ一つの個性」

・佐藤わかな「“かっこいい”が文化をつくる」

・内田達弥「ボブカット、ファッション、レボリューション」

・八木澤姫茉莉「なぜミュージシャンは見た目にもこだわるのか」

・中川泉「“真似”とは何か~忌野清志郎が伝えたかったこと~」

・山本茉莉「歌詞の中のファッション・アイコン」

・小林翔「原宿を着るアイドル」

・梶原綾乃「世界を魅了する“ぱみゅぱみゅ”マジック」

・岡本貴之「記号化されたバンド・アイデンティティ」


もし見かけたら是非お手に取っていただければ幸いです。


『asatte』編集発行人:小川ワタル


20120617

『asatte+』開設!

 『asatte』はオトトイの学校・岡村詩野音楽ライター講座受講生が発行している音楽フリーペーパーです。
 このたび新しく本ページ『asatte+』を開設いたしました。
 ここでは、主にフリーペーパー『asatte』には載っていない受講生の記事を掲載していきます。
 どうぞお楽しみに!

『asatte』編集発行人:小川ワタル