大まかにアイドルとは、「可愛い」とか「萌」といった観客のニーズを、具現化して提示するために、製作者側によって選ばれる演者、ということができるだろう。ニーズを具現化するにあたっては、アイドルを「○○キャラ」という定型的・記号的な設定を用いる。それは、キャラという設定を通すことで、観客にそのアイドルが自分のニーズを満たす存在であることを簡単に伝えることができるためである。しかしながら、キャラは定型的なものであるため、アイドル本人の生身(パーソナリティーやビジュアル)とアイドルのキャラ(観客のニーズ)にはずれが発生してしまう。日本においてこのずれは単純にマイナスではなく、おニャン子クラブ、AKB48といった素人系のアイドル・グループが広く受け入れられセールス的にも成功しているように、キャラを体現しきることができずに垣間見える、生身的な要素も魅力として捉えられているようなケースも少なくない。
「PONPONPON」以降きゃりーぱみゅぱみゅの作品は、作詞作曲が中田ヤスタカ、PV監督が田向潤、アート・ディレクションが増田セバスチャンという体制でリリースされている。ここで設定されているキャラを要約すると、ポップでかわいいが毒っけがあるということができるだろう。楽曲で特に特徴的なのは歌詞で、他の中田ヤスタカの比べても圧倒的に意味や物語が切り捨てられ、「PON PON うぇい PON うぇい PON PON」といったようにポップな響きが繰り返され強調されている。PVにおいては、画面いっぱいに埋め尽くされる癖のあるかわいい小物(増田の私物とのこと)や奇抜な配色の映像など、きゃりーぱみゅぱみゅが一般的にイメージされている彼女っぽさ、原宿っぽさが提示されているように見える。とは言え、そのヴィジュアルは、90年代より原宿から世界を相手に「かわいい」を発信し続けてきた増田のディレクションを通じて、彼女と原宿の部分的なイメージをグロテスクに誇張した、半ばファンタジーのような形で再構築されたキャラである。こうした、外部に過剰なまでに設定されたキャラに対して、きゃりーぱみゅぱみゅはすんなりと要求のキャラ通りに振る舞ってみせる。さもスタイリングされた服を着て、カメラマンの指示のもとポージングしているかのように。それは前段で触れた、どこかで生身的なものを見せざるをえない日本の多くの素人系のアイドル達とは異なる、要求を完璧に実現するプロとしてのアプローチである。きゃりーぱみゅぱみゅは、自らのモデルとしての力によって原宿っぽさまでをも着こなし、アイドルが乱立している日本において、アーティストとしての強度をも持つアイドルとして役者の違いを見せつけている。
きゃりーぱみゅぱみゅ - PONPONPON , Kyary Pamyu Pamyu - PONPONPON