20121012

[asatte Vol.4](特集:場をつくる音楽) 佐藤わかな「愛すべきミナミホイール」

ミナミホイール(以下ミナホ)。それは、大阪を代表とする音楽イベントといっても過言ではない。1990年に米SXSWをモデルに、日本初の本格的ライブショーケースイベントとして、大阪では知らない人がいない有名ラジオ局FM802が中心となり、大阪アメリカ村にあるライヴ・ハウスを巻き込んでスタートした。全国をみると、ミナホほどの規模で長きにわたり成功しているサーキット・イベントはあまり多くない。それはなぜか。その謎を解く鍵を握るのは、アメリカ村そのものにある。

舞台となるアメリカ村は、少し歩けばライヴ・ハウスがあり、また少し歩けばレコ屋があり、FM802がアート・ディレクションを務めるカフェがあり、色鮮やかな古着が並ぶ店には店主好みのロックが流れる。自由奔放でありながら、街をあげて何かすることに対してはいつだって好意的だ。大阪の心斎橋/堀江一帯を指すミナミエリアの中心部、元は倉庫街だったこの場所に、空間デザイナーである日根萬里子さんがカフェ「LOOP」をオープン。これをきっかけとして徐々に集まり始めた若者が、後にアメリカ村をさまざまな文化発信の場へと変えていく原動力となっていった。

なかでも、音楽の街アメリカ村の側面は、多くのレコード店、キャパシティ約200~1500人の大小様々なライヴ・ハウスが一つの地域に集中していることから垣間見ることができる(ミナホの会場となるライヴ・ハウスだけでも22か所)。ミナホ期間中は、首からパスを下げた参加者でごった返し、街がまるごと音楽一色になる。公式マップには載っていない場所でも音楽が鳴らされ、ミナホ期間中であればそのことに大きな疑問を抱く人もいないだろう。ふとアメリカ村に立ち寄った人も気付けば参加者の一員となっている。

確かに街をあげた一大イベントではあるが、実際に運営をする人たちだけがそれを作り上げているわけではない。街に住む人、街を訪れる人、そのすべてが重要な主催者なのだ。その昔1980年代、アメリカ村ユニオンという団体が利益を求めず、アメリカ村を活性化させようとパレードやダンス、ファッションのイベントを企画していたこともある。根っからのDIY精神を持つアメリカ村には、誰かに頼ることなくその地に活動の拠点を置く人たちによって作り上げられてきた歴史がある。だからこそ、街全体を巻き込むサーキット・イベントはこの街に自然に受け入れられるのだ。