20121018

[asatte Vol.6] 小林ヨウ「福島から立ち上る音楽」


指揮者がかざしていた手を勢いよく振り下ろす。その手の動きに合わせてバフッと、あるいはガタッと、あるいはプーと音が鳴る。演奏者達の手にはリコーダーやピアニカや鉄琴のばちが握られている。指揮者が両手をゆっくり下からすくい上げるように持ち上げる。ばたばたとした音が徐々に強く激しくなっていく。それは何かが立ち上っていく唸りのように聞こえる音楽だ。指揮者はパーカーにジーンズの中年の男性で、演奏者は小学生、会場は震災後の福島の小学校の教室。これがその日の大友良英の即興演奏の風景だった。


ギタリスト、ターンテーブリストとして世界的に活動している大友は、即興演奏的な音楽作品も数多く発表しており、2006年には音楽療法を研究する大学からの要請を受け「音の海」と題された障害者の子どもとの即興演奏のコンサートを開催した。以降、大友はこの手法を援用し、<アンサンブルズ><こどもオーケストラ>等、アマチュアとの演奏の機会を数多く設けるようになった。大友のこうした即興演奏に関する活動と、震災後の<プロジェクトFUKUSHIMA! >の活動から、NHKより『課外授業 ようこそ先輩』への出演依頼があり、大友は20127月、幼少期を過ごした福島の小学校を舞台に、在校生との即興演奏を行った。その演奏はとりわけ、たまたま参加することになった小学生に対して強い意味を持っていたように思う。

大友は以前、即興演奏に参加する演奏者自身にとってのコンサートの意義について「彼等を音楽のステージに上げていかなくてはならないわけだ。で、最終的には音楽をする喜びを彼等が感じられるようにしなくてはならない」と述べている。今回の演奏は練習もほとんどない状態で実施されており、その条件下で演奏を「音楽」とするために、大友は小学生とともに録音した福島の街の音を用いた。大友が子ども達と行った演奏は楽譜があるわけでもなければ旋律があるものでもなく、子ども達にとって授業で慣れ親しんでいる「音楽」ではなかっただろう。それでも、何気ない福島の街の音と、自分達が思い思いに選んだ楽器が、大友の指揮のもとでただの音の重なりではない何かになっていくのを子ども達は体験した。

演奏直前、大友は子ども達に対し、涙を浮かべながら福島原発の事故の話をする。「大人が失敗をしてしまった」のだと。その率直な様子は子ども達がはじめて目の当たりにする、失敗もすれば悩みもする生身の大人の姿だったように思う。おそらく、大友の涙の意味や震災後の福島での演奏が持つ意味について子ども達が理解するのはもう少し後のことであろう。それでも、たまたまクラスに居合わせただけの小学生であった自分達が大友と一緒になって音楽を作り上げた体験は、将来、彼らが震災と原発事故を振り返り、自分達が直面する困難をいかに克服するか考えるとき、起点となり糧となるだろう。震災後の福島に大友の即興演奏は将来への種を植えつけることとなった。