小学校の頃、音楽の授業がとても好きだった。私は運動が苦手でかけっこはいつもビリ。田舎の学校でみんな体育が大好きなのに私は大嫌い。悲しい気持ちになったことも多々あった。そんな私にとって音楽の授業はいつも至福の時間であった。ピアノを弾いてくれたり、歌を歌ってくれたり、先生お気に入りのビートルズを聴いてリズムに合わせて遊んだり。運動で劣等感にさいなまれていた私も、音楽の授業ではクラスメイトと一緒になってワイワイ楽しむことができ、知らないうちに音楽は私にとって一番の得意科目になっていた。音楽と出会えたおかげで、私はその後今に至るまでに沢山の素敵な音楽友達と出会うことができて、今ではすっかり人との付き合いも得意になった。しかし、一転して中学高校の時は音楽の授業が嫌いだったのだ。なんだかもの静かな先生で「静かに」としか言わず教科書通りに進められる時間はひたすら睡魔との戦い……。西洋クラシック音楽や日本の民謡だけに光をあて、つまらなさそうに教科書を読み上げる先生を見て生徒達は皆飽き飽きしていたし、そんな音楽の先生よりもインターネットの動画サイトが音楽の先生になってしまっていた。音楽の授業で学んだことは「音楽は静かに黙って、椅子に座って、じーっと聴いていなければならない」だなんて、つまらないこと極まりない。静かに黙ってじーっと音楽を聴くのは、せめて家で動画サイトを開いて音楽を聴くときだけでいい。
音楽を通したコミュニケーションというものは、演奏を聴くことでミュージシャンと意思疎通を図ることだけではない。リスナー同士の意思疎通もコミュニケーションである。同じ音楽を聴いて良さを共有し合う、又は意見を交換し合う。同じビートに合わせて体を動かしてみんなで音楽の波に乗ってみる。普段あまり聴かないような耳に新しい音楽を先生に紹介してもらって、未知の世界をみんなで楽しむ。そうやって、ひとりきりのパソコン画面から抜け出し、実際の友人達と音楽を通した親密なコミュニケーションを体感することで音楽への好奇心は一層高まるだろう。自分一人では体験できない、みんなで音楽を楽しむことの良さを知っていくのだ。
たしかに音楽はひとそれぞれ好みも自由。「わたしはわたし、あなたはあなた」かもしれない。だが、素敵な音楽を共有し合えることの幸せも格別で、そんなふうに素敵な音楽を「みんなで楽しむ」ことの良さを教えることができる最良の場こそ、音楽の授業だ。自分の部屋のパソコン画面というパーソナル・スペースを抜け出して、コミュニケーションしながら音楽を楽しむ。そして、そのコミュニケーションの中で音楽が生徒にとって大切なものになったら、音楽の授業は大成功だ。