20121106

[asatte Vol.5](特集:ファッションと音楽) 小林ヨウ「原宿を着るアイドル」

雑誌のモデルとして原宿系の女性の支持を得ていたきゃりーぱみゅぱみゅは「PONPONPON」でCDデビューを果たすと、早々にフィンランドのiTunesエレクトロ・チャートで1位を記録、YouTubeでもPVが2012年5月現在2500万再生を超えるなど世界的な反響を獲得している。アーティストともアイドルとも取れる彼女の音楽活動について、現在の日本のアイドル・ブームの中で考えたとき、そのアプローチは明確に他のアイドル達と異なっている。そしてその理由は、彼女がファッション・モデルであるからに他ならない。

[asatte Vol.5](特集:ファッションと音楽) 梶原綾乃「世界を魅了する“ぱみゅぱみゅ”マジック」

きゃりーぱみゅぱみゅの人気の裏には「自己プロデュース力」という強みがある。自分の好きな目玉や骨といった"グロカワ"アイテムに、芸人ばりの変顔やダンスはPVへ、ブログで多用されるきゃりー語"好きすぎてキレそう"は楽曲タイトルに。元々彼女が持つ独特な世界観を、所々惜しみなく売り出すことに成功しているといえるだろう。リスペクトする人物はケイティ・ペリーやレディー・ガガ。普通の女の子として生きることに飽き足らないきゃりーは、奇抜なファッションで世間を驚かせてきた憧れの彼女達のように、「ちょっとズレてる」女の子として、世界にきゃりー流"カワイイ"の発信を試みようとしているわけだ。 

20121101

[asatte Vol.3](特集:旅する音楽) 須田佳之 「作家、村上龍の挑戦」

2011年11月19日
"RYU’S CUBAN NIGHT" タニアvsハイラ with キューバン・オールスターズ
於:品川ステラボール

カリブ海に浮かぶ島国キューバは、ルンバ、マンボ、チャチャチャといったラテンリズムのふるさとだ。革命前はカリブ海きっての歓楽街であった首都ハバナでは、誰もが踊りだしたくなる、身体に直に響く音楽が数多く生み出されてきた。

20121028

[asatte Vol.6] 田中三千穂「三つ子の魂百まで。子どもの音楽の記憶は大人になるまで。」

火曜日の『サザエさん』をご存知だろうか。『サザエさん』といえば日曜日のものとしておなじみだが、95年頃までは日曜日の他に、火曜日にも放送されていた。私はこの火曜日の『サザエさん』のオープニングとエンディングのテーマ曲が日曜日のそれよりも大好きで、今でも完璧に空で歌えてしまう。先日、桜新町在住の同僚とそんな話になったのだが、火曜日の『サザエさん』を知る者はその場では少なかった。なるほど、私が関西出身だから、他の地域では放送していなかったのかもしれないと思ったのだが、そのテーマ曲を口ずさむと、驚いたことにその場の誰もが知っていたのである。

20121020

[asatte Vol.6] 中川泉「“替え唄”から見る子どもたち〜嘉門達夫の再ブレイクを通して〜」

アルバイトの関係で、小学生の子どもたちと触れる機会が多い。ある時、いつものように子どもたちと話をしていると、いきなり「ちゃらりーん♪鼻から牛乳〜♪」と歌いだした子どもがいた。現在大学生の私でも、「かつて流行した」程度の認識の替え唄を、なぜひと周りも違う彼らが知っているのか疑問に思い、尋ねてみた。すると、テレビ番組で見て覚えた、というのだ。

20121018

[asatte Vol.6] 小林ヨウ「福島から立ち上る音楽」


指揮者がかざしていた手を勢いよく振り下ろす。その手の動きに合わせてバフッと、あるいはガタッと、あるいはプーと音が鳴る。演奏者達の手にはリコーダーやピアニカや鉄琴のばちが握られている。指揮者が両手をゆっくり下からすくい上げるように持ち上げる。ばたばたとした音が徐々に強く激しくなっていく。それは何かが立ち上っていく唸りのように聞こえる音楽だ。指揮者はパーカーにジーンズの中年の男性で、演奏者は小学生、会場は震災後の福島の小学校の教室。これがその日の大友良英の即興演奏の風景だった。

20121012

[asatte Vol.4](特集:場をつくる音楽) 佐藤わかな「愛すべきミナミホイール」

ミナミホイール(以下ミナホ)。それは、大阪を代表とする音楽イベントといっても過言ではない。1990年に米SXSWをモデルに、日本初の本格的ライブショーケースイベントとして、大阪では知らない人がいない有名ラジオ局FM802が中心となり、大阪アメリカ村にあるライヴ・ハウスを巻き込んでスタートした。全国をみると、ミナホほどの規模で長きにわたり成功しているサーキット・イベントはあまり多くない。それはなぜか。その謎を解く鍵を握るのは、アメリカ村そのものにある。

舞台となるアメリカ村は、少し歩けばライヴ・ハウスがあり、また少し歩けばレコ屋があり、FM802がアート・ディレクションを務めるカフェがあり、色鮮やかな古着が並ぶ店には店主好みのロックが流れる。自由奔放でありながら、街をあげて何かすることに対してはいつだって好意的だ。大阪の心斎橋/堀江一帯を指すミナミエリアの中心部、元は倉庫街だったこの場所に、空間デザイナーである日根萬里子さんがカフェ「LOOP」をオープン。これをきっかけとして徐々に集まり始めた若者が、後にアメリカ村をさまざまな文化発信の場へと変えていく原動力となっていった。

なかでも、音楽の街アメリカ村の側面は、多くのレコード店、キャパシティ約200~1500人の大小様々なライヴ・ハウスが一つの地域に集中していることから垣間見ることができる(ミナホの会場となるライヴ・ハウスだけでも22か所)。ミナホ期間中は、首からパスを下げた参加者でごった返し、街がまるごと音楽一色になる。公式マップには載っていない場所でも音楽が鳴らされ、ミナホ期間中であればそのことに大きな疑問を抱く人もいないだろう。ふとアメリカ村に立ち寄った人も気付けば参加者の一員となっている。

確かに街をあげた一大イベントではあるが、実際に運営をする人たちだけがそれを作り上げているわけではない。街に住む人、街を訪れる人、そのすべてが重要な主催者なのだ。その昔1980年代、アメリカ村ユニオンという団体が利益を求めず、アメリカ村を活性化させようとパレードやダンス、ファッションのイベントを企画していたこともある。根っからのDIY精神を持つアメリカ村には、誰かに頼ることなくその地に活動の拠点を置く人たちによって作り上げられてきた歴史がある。だからこそ、街全体を巻き込むサーキット・イベントはこの街に自然に受け入れられるのだ。