火曜日の『サザエさん』をご存知だろうか。『サザエさん』といえば日曜日のものとしておなじみだが、95年頃までは日曜日の他に、火曜日にも放送されていた。私はこの火曜日の『サザエさん』のオープニングとエンディングのテーマ曲が日曜日のそれよりも大好きで、今でも完璧に空で歌えてしまう。先日、桜新町在住の同僚とそんな話になったのだが、火曜日の『サザエさん』を知る者はその場では少なかった。なるほど、私が関西出身だから、他の地域では放送していなかったのかもしれないと思ったのだが、そのテーマ曲を口ずさむと、驚いたことにその場の誰もが知っていたのである。
20121028
20121020
[asatte Vol.6] 中川泉「“替え唄”から見る子どもたち〜嘉門達夫の再ブレイクを通して〜」
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asatte Vol.6
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Columns
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嘉門達夫
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中川泉
アルバイトの関係で、小学生の子どもたちと触れる機会が多い。ある時、いつものように子どもたちと話をしていると、いきなり「ちゃらりーん♪鼻から牛乳〜♪」と歌いだした子どもがいた。現在大学生の私でも、「かつて流行した」程度の認識の替え唄を、なぜひと周りも違う彼らが知っているのか疑問に思い、尋ねてみた。すると、テレビ番組で見て覚えた、というのだ。
20121018
[asatte Vol.6] 小林ヨウ「福島から立ち上る音楽」
ラベル:
asatte Vol.6
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otomo yoshihide
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小林ヨウ
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大友良英
指揮者がかざしていた手を勢いよく振り下ろす。その手の動きに合わせてバフッと、あるいはガタッと、あるいはプーと音が鳴る。演奏者達の手にはリコーダーやピアニカや鉄琴のばちが握られている。指揮者が両手をゆっくり下からすくい上げるように持ち上げる。ばたばたとした音が徐々に強く激しくなっていく。それは何かが立ち上っていく唸りのように聞こえる音楽だ。指揮者はパーカーにジーンズの中年の男性で、演奏者は小学生、会場は震災後の福島の小学校の教室。これがその日の大友良英の即興演奏の風景だった。
20121012
[asatte Vol.4](特集:場をつくる音楽) 佐藤わかな「愛すべきミナミホイール」
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asatte Vol.4
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MINAMI WHEEL
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佐藤ワカナ
ミナミホイール(以下ミナホ)。それは、大阪を代表とする音楽イベントといっても過言ではない。1990年に米SXSWをモデルに、日本初の本格的ライブショーケースイベントとして、大阪では知らない人がいない有名ラジオ局FM802が中心となり、大阪アメリカ村にあるライヴ・ハウスを巻き込んでスタートした。全国をみると、ミナホほどの規模で長きにわたり成功しているサーキット・イベントはあまり多くない。それはなぜか。その謎を解く鍵を握るのは、アメリカ村そのものにある。
舞台となるアメリカ村は、少し歩けばライヴ・ハウスがあり、また少し歩けばレコ屋があり、FM802がアート・ディレクションを務めるカフェがあり、色鮮やかな古着が並ぶ店には店主好みのロックが流れる。自由奔放でありながら、街をあげて何かすることに対してはいつだって好意的だ。大阪の心斎橋/堀江一帯を指すミナミエリアの中心部、元は倉庫街だったこの場所に、空間デザイナーである日根萬里子さんがカフェ「LOOP」をオープン。これをきっかけとして徐々に集まり始めた若者が、後にアメリカ村をさまざまな文化発信の場へと変えていく原動力となっていった。
なかでも、音楽の街アメリカ村の側面は、多くのレコード店、キャパシティ約200~1500人の大小様々なライヴ・ハウスが一つの地域に集中していることから垣間見ることができる(ミナホの会場となるライヴ・ハウスだけでも22か所)。ミナホ期間中は、首からパスを下げた参加者でごった返し、街がまるごと音楽一色になる。公式マップには載っていない場所でも音楽が鳴らされ、ミナホ期間中であればそのことに大きな疑問を抱く人もいないだろう。ふとアメリカ村に立ち寄った人も気付けば参加者の一員となっている。
確かに街をあげた一大イベントではあるが、実際に運営をする人たちだけがそれを作り上げているわけではない。街に住む人、街を訪れる人、そのすべてが重要な主催者なのだ。その昔1980年代、アメリカ村ユニオンという団体が利益を求めず、アメリカ村を活性化させようとパレードやダンス、ファッションのイベントを企画していたこともある。根っからのDIY精神を持つアメリカ村には、誰かに頼ることなくその地に活動の拠点を置く人たちによって作り上げられてきた歴史がある。だからこそ、街全体を巻き込むサーキット・イベントはこの街に自然に受け入れられるのだ。
舞台となるアメリカ村は、少し歩けばライヴ・ハウスがあり、また少し歩けばレコ屋があり、FM802がアート・ディレクションを務めるカフェがあり、色鮮やかな古着が並ぶ店には店主好みのロックが流れる。自由奔放でありながら、街をあげて何かすることに対してはいつだって好意的だ。大阪の心斎橋/堀江一帯を指すミナミエリアの中心部、元は倉庫街だったこの場所に、空間デザイナーである日根萬里子さんがカフェ「LOOP」をオープン。これをきっかけとして徐々に集まり始めた若者が、後にアメリカ村をさまざまな文化発信の場へと変えていく原動力となっていった。
なかでも、音楽の街アメリカ村の側面は、多くのレコード店、キャパシティ約200~1500人の大小様々なライヴ・ハウスが一つの地域に集中していることから垣間見ることができる(ミナホの会場となるライヴ・ハウスだけでも22か所)。ミナホ期間中は、首からパスを下げた参加者でごった返し、街がまるごと音楽一色になる。公式マップには載っていない場所でも音楽が鳴らされ、ミナホ期間中であればそのことに大きな疑問を抱く人もいないだろう。ふとアメリカ村に立ち寄った人も気付けば参加者の一員となっている。
確かに街をあげた一大イベントではあるが、実際に運営をする人たちだけがそれを作り上げているわけではない。街に住む人、街を訪れる人、そのすべてが重要な主催者なのだ。その昔1980年代、アメリカ村ユニオンという団体が利益を求めず、アメリカ村を活性化させようとパレードやダンス、ファッションのイベントを企画していたこともある。根っからのDIY精神を持つアメリカ村には、誰かに頼ることなくその地に活動の拠点を置く人たちによって作り上げられてきた歴史がある。だからこそ、街全体を巻き込むサーキット・イベントはこの街に自然に受け入れられるのだ。
20121011
[asatte Vol.6] 岡本貴之「少年少女合唱団とロック・ミュージシャン」
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asatte Vol.6
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Rolling Stones
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岡本貴之
ザ・ローリング・ストーンズのキース・リチャーズ、エレファントカシマシの宮本浩次、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト。この3人に共通点があることをご存じだろうか? 答えは「少年少女合唱団(もしくは聖歌隊)」を経験していることだ。
キース・リチャーズは少年時代、聖歌隊に所属していたという。ウェストミンスター寺院内の教会に於いて、若き新女王エリザベス二世の戴冠式で独唱を披露。ヘンデルの《メサイア》の中から《ハレルヤ》を歌ったキースは聖歌隊のスター的存在だったという。しかし13歳で変声期を迎え、高く透明な声が出せなくなったキースは聖歌隊から追い出されてしまう。さらに合唱の練習の為免除されてきた授業のせいで1年留年。このことについてキースは「あの燃えたぎるような怒り、世の中を疑い始めたのはあのときだ」と相当恨んでいたらしく、この出来事が後のロックンロール・ジャンキー、キース・リチャーズを作り上げたのかもしれない。
宮本浩次は、小学生の頃、NHK少年少女合唱団に所属していた。10歳の時、「はじめての僕デス」でソロ・デビュー。『みんなのうた』で取り上げられ3万枚以上売れるヒットを出している。複数のレコード会社からそれぞれリリースした為、合唱団の先生に連れられて各レコード会社に出向いてレコーディングしたという。
「NHK合唱団では“ガ”っていわないで、(鼻濁音で)“が”っていえ、って言われて」
「そういうのは、今でも出ちゃったりとかしてますよね、微妙に」(いずれもROCKIN’ON JAPAN 2009年5月号掲載のインタビューより引用)
といった発言にもあるように、「正当な音楽教育」を受けた経験が今に活きているようだ。
甲本ヒロトの場合、幼少期に出身地の岡山で「桃太郎少年合唱団」に所属していて讃美歌を歌っていたらしいが、インタビュー等で本人がこれに関して語っているのを読んだことがないので詳しいことはわからない。しかし「桃太郎少年合唱団」が設立された年はヒロトが生まれた年と同じ。幼少期のヒロトが入っていてもおかしくはない。
ストレートなロックが真骨頂なこの3人の音楽性に合唱団との親和性を見出すのにはかなり無理があるが、大勢の中から独唱やレコード・デビューを果たしている事実を鑑みると、幼少期から人並み外れた音楽的センスを発揮していたからこそ抜擢されたのだろう。同時にとても大勢の中でお行儀よくしていられる子どもだったとは考えにくい3人だけにきっと目立つ立ち振る舞いをしていたのだろう。「ロックの初期衝動」とはロック・ミュージックに初めて触れた時の衝動を元にパッションを持ち続けることだが、それ以前に幼少期に人前で歌を歌うことの快感が、音楽で自分を表現することへの初期衝動として彼らの体の中に記憶されているのかもしれない。その証拠に、彼らがステージ上で見せる笑顔は、今もあどけない少年そのものだ。
キース・リチャーズは少年時代、聖歌隊に所属していたという。ウェストミンスター寺院内の教会に於いて、若き新女王エリザベス二世の戴冠式で独唱を披露。ヘンデルの《メサイア》の中から《ハレルヤ》を歌ったキースは聖歌隊のスター的存在だったという。しかし13歳で変声期を迎え、高く透明な声が出せなくなったキースは聖歌隊から追い出されてしまう。さらに合唱の練習の為免除されてきた授業のせいで1年留年。このことについてキースは「あの燃えたぎるような怒り、世の中を疑い始めたのはあのときだ」と相当恨んでいたらしく、この出来事が後のロックンロール・ジャンキー、キース・リチャーズを作り上げたのかもしれない。
宮本浩次は、小学生の頃、NHK少年少女合唱団に所属していた。10歳の時、「はじめての僕デス」でソロ・デビュー。『みんなのうた』で取り上げられ3万枚以上売れるヒットを出している。複数のレコード会社からそれぞれリリースした為、合唱団の先生に連れられて各レコード会社に出向いてレコーディングしたという。
「NHK合唱団では“ガ”っていわないで、(鼻濁音で)“が”っていえ、って言われて」
「そういうのは、今でも出ちゃったりとかしてますよね、微妙に」(いずれもROCKIN’ON JAPAN 2009年5月号掲載のインタビューより引用)
といった発言にもあるように、「正当な音楽教育」を受けた経験が今に活きているようだ。
甲本ヒロトの場合、幼少期に出身地の岡山で「桃太郎少年合唱団」に所属していて讃美歌を歌っていたらしいが、インタビュー等で本人がこれに関して語っているのを読んだことがないので詳しいことはわからない。しかし「桃太郎少年合唱団」が設立された年はヒロトが生まれた年と同じ。幼少期のヒロトが入っていてもおかしくはない。
ストレートなロックが真骨頂なこの3人の音楽性に合唱団との親和性を見出すのにはかなり無理があるが、大勢の中から独唱やレコード・デビューを果たしている事実を鑑みると、幼少期から人並み外れた音楽的センスを発揮していたからこそ抜擢されたのだろう。同時にとても大勢の中でお行儀よくしていられる子どもだったとは考えにくい3人だけにきっと目立つ立ち振る舞いをしていたのだろう。「ロックの初期衝動」とはロック・ミュージックに初めて触れた時の衝動を元にパッションを持ち続けることだが、それ以前に幼少期に人前で歌を歌うことの快感が、音楽で自分を表現することへの初期衝動として彼らの体の中に記憶されているのかもしれない。その証拠に、彼らがステージ上で見せる笑顔は、今もあどけない少年そのものだ。
エレファントカシマシ - ズレてる方がいい(Short ver.)
エレファントカシマシの最新情報はコチラ:http://umusic.ly/elekashi
エレカシ、7ヶ月ぶりのシングルは今秋公開、超大作映画「のぼうの城」主題歌。
ズレてる奴のかっこ良さを歌ったエレカシならではメッセージソング。
初回盤には、映画と同じ犬童一心・樋口真嗣両監督によるMusic Videoを収録。
Music Videoとは思えない壮大なスケールの作品にプラス、超貴重なメイキング
映像も収録。
CD MAXI
「ズレてる方がいい」
発売日: 2012.10.31
商品詳細はコチラ:http://umusic.ly/elekashi
ズレてる奴のかっこ良さを歌ったエレカシならではメッセージソング。
初回盤には、映画と同じ犬童一心・樋口真嗣両監督によるMusic Videoを収録。
Music Videoとは思えない壮大なスケールの作品にプラス、超貴重なメイキング
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CD MAXI
「ズレてる方がいい」
発売日: 2012.10.31
商品詳細はコチラ:http://umusic.ly/elekashi
20121009
[asatte Vol.6] 梶山春菜子「子どものまま大人になるためにSEBASTIAN Xを歌え」
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SEBASTIAN X
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梶山春菜子
子どもに戻りたいと思ったことはあるだろうか。歳を取れば取るほど楽しいという人もいる。わたしもそうだ。一方で、子どもに戻りたいとも思っている。ただそれは自分の人生のいくつの頃、というわけではなく、おそらく「子ども」に象徴される“何か”を持っていたいのだ。
その“何か”とは、人に笑われたり、厨二病乙などと揶揄されたりと(もしくは実際に自分はされなくても人がされているのを見て)、これでは生きづらいと抑えるうちにもう一度引っ張りだすことができなくなってしまったものだ。
だから今までと逆にそれを持ったままでいいんだなと思える場所にいることが大事なのである。そんな時、SEBASTIAN
Xの音楽はそうありたいと思う方向を照らす明かりのようだ。
彼女たちの特徴である、“ユニコーン”や“怪獣”、“スピカ”などの空想的なセンテンスが散りばめられた児童小説のような文学性、彩る音の鮮やかさと勢いのあるポップさ、巷で有名な「なんか凄いことになっているらしいインパクト大のパフォーマンス」に感じるのは、限界を知らず走り回って遊ぶ子どもの眩しさだ。
しかし、私はSEBASTIAN Xをそのまま子どものような賑やかなバンドだと受け取っているのではない。自分の中の子どもを侵されないように闘う大人だと感じるのだ。特に象徴的なのはセカンド・ミニ・アルバム『僕らのファンタジー』のM5「サファイアに告ぐ」だ。ライヴでもほぼ必ず演奏されるこの曲はSEBASTIAN
Xの核なのではないかと勝手ながら思う。“サファイア ああサファイア! 君は誰よりも美しく サファイア ああサファイア! 宇宙の揺籠で眠る愛の子供”という力強い歌い出しで始まるこの曲は、序盤の叩き付けるような激しいピアノに乗って、現実の厳しさに疑問を投げかけ闘い挑むエネルギーがうねりを上げて盛り上がっていく。
“宝物の山燃やし尽くし 歴史の山を燃やし尽くし それでも美しいといえる? 世界はばらばらになった!”と歌い放つと、曲調は一転し、夢を見るようにファンタジックな言葉が紡がれる。なかでも不思議なのが“空を飛ぶ魚”や“流星のストローク”と並列で“笑い合う食卓”や“毎日埋まる絵日記”といった日常的な場面を歌い上げていることだ。だが、これこそSEBASTIAN
Xの肝である。彼女たちが描くのは全くの空想の世界、子どもの世界ではない。当たり前だと言われるような日常がファンタジーのように美しいことを知った〈大人〉が見る、現実や日常の中に眠るファンタジーだ。だからこそ、世界の中で自分が何者にでもなれ、目に見えない何かがあり、何をどう見てもどんな膨らませ方をしても良かった頃の童心を守り抜く彼女たちは光り輝いている。
永原真夏(Vo)の、様々なことに戸惑いながらも、笑顔で駆け抜けていく勇ましい姿はジャンヌ・ダルクのようで、その後に続きたくなるのだ。この曲の終わりで彼女は“次は僕らの時代だ サファイア!”と告げている。馬鹿みたいだと笑う大人の時代は終わらせよう。濁りそうならば闘うようにSEBASTIAN Xを歌おうと思う。
<最新作品情報>
2012/07/11 Release
SEBASTIAN X
New Mini Album
『ひなぎくと怪獣』
RDCA-1024/¥1890(tax-in)
初回生産盤のみ"CD+DVD"の2枚組仕様 ※初回生産盤はなくなり次第終了
[初回生産盤 商品内容]
・CD全6曲入り
・DVDにはアルバム収録曲のMusic Video2本とSEBASTIAN X主宰野外イベント「TOKYO春告ジャンボリー」のライブ映像6曲を収録
2012/7/11リリース New mini album『ひなぎくと怪獣』トレーラー
<最新作品情報>
2012/07/11 Release
SEBASTIAN X
New Mini Album
『ひなぎくと怪獣』
RDCA-1024/¥1890(tax-in)
初回生産盤のみ"CD+DVD"の2枚組仕様 ※初回生産盤はなくなり次第終了
[初回生産盤 商品内容]
・CD全6曲入り
・DVDにはアルバム収録曲のMusic Video2本とSEBASTIAN X主宰野外イベント「TOKYO春告ジャンボリー」のライブ映像6曲を収録
20121004
[asatte Vol.6] 岡崎千紘「つなげる」
ラベル:
asatte Vol.6
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Ozomatli
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岡崎千紘
子どもに「すばらしい体験を」という志のもとに音楽活動を行っているミュージシャンは多い。そこで、ある例を紹介しようと思う。
Ozomatliというバンドがいる。L.A.で結成されたバンドで、ラテン、ヒップ・ホップ、ロックなど、いろんなジャンルを織り交ぜた……という紹介がこのバンドの常ではあるが、むしろL.A.という世界の人種や文化が織り交ざった場所で生まれた「ジャンルレス」な音楽と言った方が、彼らを紹介するにはよいかもしれない。数々の音楽フェスティバルに出演し、グラミー賞も受賞するなどの活躍ぶりも目覚ましい彼らが最近力を入れているのが「OZOKIDZ」というプログラムである。これは文字通り「子ども」を相手とした活動であり、子ども向け番組のコンピレーション・アルバムやゲームへの音楽提供、そして子どもを対象としたライヴを積極的に行っているほか、今秋にはその名を冠したアルバムも発売される。特にライヴには力を入れており、SXSWなどのフェスや音楽イベントへの出演はもちろん、ツアーも会場の大小問わず多数行っている。
そもそも彼らの音楽活動は、L.A.での、ある地域問題への抗議運動をきっかけとしている。その後の活動も社会問題に沿っていることが多く、それに従うようにして、彼らは多くの国や現場でライヴ活動を行ってきた。そして彼らの目線は、演奏する地域で生活する人々へと向けられている。その人たちがもし問題を抱えているならば、彼らはその問題に対して共に「NO」と言えるバンドなのだ。言ってしまえば、彼らが行うライヴは単なる見せ物ではなく、オーディエンスと同じ目線に立つツールであるのだろう。「ジャンルレス」と言える所以もそこにあるように思えるし、それこそが彼らの持つ音楽の力だ。そして17年にも及ぶ活動の中で、彼らが近年目を向け始めたのが、「子ども」ということなのだが、それはOzomatliの中に「父親」となったメンバーがいるということも大きく関わっているだろう。
OZOKIDZのライヴの様子を動画サイトなどで見ると、鶏のマスクをかぶったメンバーや小さなラッパを吹いて軽快に演奏するメンバーと一緒に、楽しそうに踊る子どももいれば、ぽかんと直立不動でじっと見続ける子どももいる。子どもの反応は、素直で、さまざまで、面白い。そして、子どもたちと一緒に大人も楽しそうにしているのを目にすると、このバンドはなんて素晴らしい時間と場所を作っているのだろうと思わずにいられない。彼らは、そこに居合わせた親子にとって、それだけで充分な役割を果たしている。
OzomatliはFUJI ROCK
FESTIVALで初来日した際、ステージ上ではなくオーディエンス・エリアから演奏を始め、その音楽に引き寄せられた観客をひきつれてステージに向かって行った。「子供の頃、音楽と出会えたことがどれほど幸せだったか… そんなチャンスを子供たちにあたえたい」(Smashing
Magより引用)と、あるメンバーは発言している。彼らもかつては音楽にひきつけられた子どもたちだったのだ。そして今は彼ら自身が子どもたちをひきつれていく。それは、観客としてだけではなく、いつかステージに立つ人間として。まさにOzomatliの音楽を繋げていく「OZOKIDZ」が、いま生まれているときなのかもしれない。
Ozomatli and Harold Robinson Foundation team up for the kids
Ozomatli performing for the kids at 92nd Street School in Los Angeles.
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